将来が不安で眠れない人へ|老後の心配に押しつぶされない考え方

将来のことを考えると、夜もろくに眠れない。老後の生活や年金、健康、家族の介護を考えると、不安に押しつぶされそうになる。

そのような悩みを抱える人は、決して少なくありません。仕事の行き詰まり、親の介護問題、子どもの将来、自分が大病にかかったらという恐怖、果たして満額の年金がもらえるのかという社会的・経済的不安。心配の種は、一つ考え始めると際限なくあふれ出してきます。

これらは、考えれば考えるほど頭の中で雪だるま式に存在感を増し、大切な睡眠時間や平穏な日常を脅かすようになります。私たちは日常生活の中で、まだ起きていない未来に対する不吉な予測に感情を占拠され、自ら精神を磨耗させているのです。

将来への心配が雪だるま式に大きくなる様子を表した粘土レリーフ

そこで多くの人は、「今の不安をすべて取り除いてラクになりたい」と考えます。すなわち、「不安や苦しみが少ないほど人間は幸福になれる」「欲求が満たされるほど幸せになれる」という考え方が、一般的な常識として広く共有されています。不安をなくしてプラス思考になれば、人生はうまくいくと思われているのです。

しかし、本当に不安をなくせば幸せになれるのでしょうか。

しかし、この「世間の常識」こそが、実は人々を不幸に陥れている根本的な原因かもしれません。不安を取り除こうと必死になればなるほど、そして不安を気にすれば気にするほど、人はかえって幸福を取り逃がしてしまうのです。必要なのは、不安を力ずくで追い出すことではありません。不安に対する見方を、根本から変えることです。

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不安をなくしてから生きようとすると、安心できる日はいつまでも来ません。不安があっても今日を生きられる、と考えるところから始まります。

「不安があって、なぜ悪いのか?」と問い直す

最初に考えたいのは、「不安があって、なぜ悪いのですか?」という問いです。

世間一般では、不安は「好ましくない悪者」「排除すべき排泄物のようなもの」とみなされがちです。しかし、人間として生きている以上、財産の有無、健康か否か、若さや立場に関係なく、誰もが不安を感じて生きています。

お金が十分にあっても、失う不安が生まれます。健康であっても、いつ病気になるかわからないという心配があります。仕事が順調でも、この状態がいつまで続くのかと考え始めます。一つの不安が解決すれば、心はすぐに次の不安を探し出します。

不安を完全にゼロにすることなど、人間には原理的に不可能です。

それにもかかわらず、「不安があってはいけない」「早く消さなければならない」と考えると、不安を感じている自分まで否定することになります。不安そのものに加えて、「不安を消せない自分は弱い」という新しい苦しみまで背負うことになるのです。

不安があることを失敗だと決めつける必要はありません。まずは、「不安があっても、人間としておかしいわけではない」と認めるところから始めてください。

不安は努力だけで解決できるものではない

例えば、「日本の財政が破綻して年金がもらえなくなったらどうしよう」という不安は、一個人の努力や心構えだけで解決できる問題ではありません。社会構造や政治が関わる問題を、一人で思い悩んでもどうにもならない部分があります。

老後のために貯蓄する、支出を見直す、健康管理をする。このように、今できる備えはあります。しかし、将来の制度、物価、病気、災害、家族の事情まで、すべてを自分の計画どおりに動かすことはできません。

自分に変えられることと、自分には変えられないことを混ぜてしまうと、考えは終わらなくなります。不安は最初から「実体」が存在しないため、心の中から取り出して捨て去ることなど不可能です。存在しない実体を取り出そうとして格闘するからこそ、人は余計に苦しくなるのです。

できる備えを一つ行ったら、残りは今の自分には操作できない領域として手放す。その区切りを持つことが、不安と付き合うために必要です。

不安には形も色も重さもない

今まさに不安にさいなまれているなら、まず不安を悪者扱いして追い出そうとしたり、無理にがんばってプラス思考になろうとする態度を一度手放してみましょう。そして、自分が怖がっている「不安な心」の実体を注意深く探してみるのです。

「不安という心を取り出して、目の前のテーブルの上に置いてみてください」と言われても、誰にもそんなことはできません。

なぜなら、不安には形も色も重さも、固定的な実体も存在しないからです。実体が存在しないにもかかわらず、私たちは頭の中で「将来どうしよう」と思いを巡らせることで、自ら「不安という幽霊」を捏造し、その幽霊に勝手に脅かされているに過ぎません。

不安が客観的な物体として、部屋のどこかに置かれているわけではありません。それでも、まだ起きていない出来事へ、悪い結果、苦しい感情、逃げ道のない状況を次々に付け加え、意識の中で巨大化させているのです。

固定した形を持たない不安を透明な器と霧で表した粘土レリーフ
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形も重さもない不安を、頭の中で何度も追いかけるほど大きく感じます。まず「今、考えているだけ」と気づくことが大切です。

不安は固定的な実体を持たない「空」の存在

大乗仏教の代表的な経典『般若心経』には「色即是空・空即是色」という言葉があります。「色」とは目に見える物質や事象全体を指し、「空」とはそれらが固定的な実体を持たずに存在している状態を意味します。

不安という感情も、まさにこの「空」の存在です。客観的な固定物としてどこかに落ちているわけではなく、感じる人の受け止め方によって現れたり消えたりします。

例えば、「将来、年金がもらえなくなるかもしれない」という一つの可能性に対しても、百人いれば百通りの受け止め方があります。

「老後はどう生きていけばいいのだろう」と悲観的な思考を重ね、夜も眠れなくなる人がいます。一方で、「将来のことを今いくら悩んでも、すべては決められない」「そのときにできることを考えよう」と割り切り、現在の生活に心を戻せる人もいます。

同じ出来事でも、受け止め方によって不安の大きさは変わります。「不安だ、不安だ」と思えば思うほど、実体のない幽霊はどこまでも肥大化していきます。逆に「不安だ」と思わなければ、その存在は意識から消え去ります。実体がないものは、意識の中で過剰に追いかけるのをやめれば自ずと消滅するのです。

不安やストレスは、すべて毒なのか

多くの人は、不安のない平穏無事な状態が一番だと望みます。しかし、不安やストレスが一切存在しないことが、本当に人間にとって理想なのでしょうか。

このことを伝える例えとして、うなぎの稚魚と天敵の話があります。海外から繊細な稚魚を空輸する際、何もしないと移動中のストレスや環境変化で九割近くが死んでしまうことがありました。そこで、あえて危険な天敵である「なまず」を同じ水槽に一匹放り込むという方法が取られました。なまずは稚魚を食べるため恐怖そのものですが、結果として二割が食べられたものの、残りの八割は活き活きと生きたまま目的地へ到達した、という例え話です。天敵という絶体絶命の緊張感があったからこそ、稚魚は生命力を最大限に発揮できたのです。

これは、不安や緊張をすべてなくすことが、必ずしも生きる力につながらないという例えです。

適度な刺激と生命力の関係を魚の群れで表した粘土レリーフ

多くの人は「天敵などいないほうがいい」「不安のない平穏無事な状態が一番だ」と望みます。しかし、周囲に苦手な人間が一人もおらず、お金も余るほどあり、老後や病気の不安も一切存在しない完璧な環境に置かれたらどうなるでしょう。

刺激がまったく存在しない状態では、人間は活力や喜怒哀楽を失い、内面から萎縮してしまいます。適度なハードルや刺激、不安材料が存在してこそ、人間は自らの生命力を奮い立たせ、喜怒哀楽を味わいながら人間らしく生きることができます。

もちろん、耐えられないほどの強いストレスを我慢する必要はありません。ここで大切なのは、不安をすべて排除すべき毒と決めつけないことです。「不安」は排除すべき毒ではなく、生きるための「適度なスパイス」であり、必要不可欠な要素にもなり得るのです。

世間の物差しが、苦しみを増やしていないか

現代の心理学やビジネス書では、「暗い気分を吹き飛ばしてプラス思考になろう」「不安を克服してがんばろう」と盛んに説かれます。

しかし、「暗いより明るいほうがいい」「やる気がある人が優れている」「がんばる人ほど価値がある」という基準は、社会が効率や生産性を追求するために作った価値観でもあります。

やる気が出ないなら、やる気が出ないままでいい。不安を感じるなら、不安を感じている自分をそのまま認めてもいい。世間の基準に合わせて自分を無理に改造しようとすると、個性が失われ、挫折したときに深い苦しみが生まれます。

不安を感じる自分、うまくがんばれない自分もまた、かけがえのない自分の姿であり、個性なのです。「不安を取り除かなければ不幸だ」という世間の物差しを、自分の心にまで持ち込む必要はありません。

不安と、ゆるやかに付き合っていく

不安を力ずくで抹殺しようとしたり、無理に打ち消すために蓋をする必要はありません。

「多少の不安や問題があってこそ、かえって人生はスリリングで面白くなる」「不安ともうまくお付き合いしていこう」という程度の、ゆるやかな心構えを持つことが大切です。

不安をなくそうと戦うのではなく、「不安があるままでも、今日の生活はできる」と考えてみる。過剰な期待や執着を手放し、「なるようになる」と腹をくくると、不思議なことに不安は気にならなくなっていきます。

これは、何の備えもしないという意味ではありません。今日できる備えは行う。しかし、未来のすべてを支配しようとはしない。自分にできることを終えたら、その先まで頭の中で何度も生き直さないということです。

未来ではなく、「今、この瞬間」に戻る

未来は仏や神の領域であり、人間が前もって百パーセントコントロールできるものではありません。明日何が起きるか、老後にどのような暮らしをしているかを、今の時点で完全に決めることはできないのです。

それなのに、変えられない未来を何度も想像し、今日の睡眠や食事、目の前の人との時間を失ってしまえば、まだ起きていない出来事のために、すでにある一日を差し出すことになります。

霧の先ではなく今照らされた一歩へ意識を戻す粘土レリーフ

変えられない未来を憂えるエネルギーを、「今、この瞬間」を明るく楽しく生きるために注ぎ込むことが大切です。今日食べるものを整える。目の前の仕事を一つ終わらせる。短い時間でも体を休める。大切な人と穏やかに話す。今できることは、決して小さなことではありません。

将来や老後に不安を感じたら、未来全体を一度に解決しようとせず、「今日の自分にできることは何か」と問い直します。答えが一つ見つかったら、それを行い、残りは明日の自分へ渡してよいのです。

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未来の全部ではなく、今日できる一つだけを決めます。残りは明日の自分へ渡してかまいません。

まとめ|不安を消すより、今日を生きる

将来や老後への不安に押しつぶされそうなとき、覚えておきたいことは五つです。

  1. 不安はあって当たり前です。生きていく以上、ゼロにすることなどできません。無理になくそうとするから苦しくなるのです。
  2. 不安やストレスは生きるエネルギーにもなります。天敵という適度な刺激がいるからこそ、人間は生命力を発揮し、生き生きと過ごせる場合があります。
  3. 不安は「実体のない幽霊」です。自分で作り出し、自分で怖がっていることがあります。形も色も重さもないものを過剰に追いかけるのをやめれば、存在感は小さくなります。
  4. 世間の物差しを捨てます。「不安を取り除かなければ不幸だ」「いつも明るくがんばらなければならない」という常識こそが、不幸の源泉になることがあります。
  5. 未来は人間には操作できません。明日や老後のことは仏や神に任せ、「今、この瞬間」を大切に生きることが幸福への近道です。

老後や将来に対する不安に押しつぶされそうになったとき、私たちは「不安を消そう」と抗うのではなく、「不安があるままでいいや」と緩やかに受け入れる勇気を持つべきです。不安と同居しながら、今日一日をのびのびと生きること。これこそが、心をすっと楽にする「幸せの扉」を開けるための最大の鍵なのです。

年金、健康、家族、これからの暮らし。
考えるほど眠れなくなる夜に。

将来や老後への不安を、ひとりで抱え続けなくて大丈夫です

不安は、頭の中だけで繰り返すほど大きく感じられます。不安を言葉にして誰かに話すことで、「何がいちばん怖いのか」「今日できることは何か」が少しずつ見えやすくなります。

占いは、未来を決めてもらうためのものではありません。自分では気づけなかった気持ちや選択肢を見つけ、心の中を整理するきっかけとして利用できます。

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