
病気への不安で眠れない夜に心を軽くする処方箋
「もし自分や家族が大病にかかってしまったらどうしよう」
「このまま体調を崩して、やりたいこともできなくなったら……」
夜、布団に入った瞬間にふと湧き上がる健康への恐怖。一度考え始めると、際限なく不吉な想像が膨らんで、胸が締め付けられるような思いで朝を迎えてしまう。そんな夜を過ごしていませんか?

世間を見渡せば、「健康第一」「病気は絶対的な悪」という風潮があふれています。だからこそ、病気の兆候や将来の健康リスクを感じたとき、私たちはあたかも「人生の落とし穴」に落ちてしまったかのような絶望感を覚えてしまうのです。
ですが、ここで少し立ち止まって、自分自身に問いかけてみてください。
「本当に、病気になったら不幸決定なのでしょうか?」
「病気に対するその恐ろしい不安は、本当に打ち消すことができないものでしょうか?」
今回は、病気という逃れられない恐怖に押しつぶされそうなあなたの心を、スッと軽くするための「考え方の処方箋」をお届けします。

不安は「消そう」とすればするほど膨れ上がる
「なんとかしてこの不安を消し去り、安心したい」
そう願って必死に健康情報を検索したり、気を紛らわせようとしたりしていませんか?
しかし、残念ながら「不安を完全にゼロにする」ということは、人間として生きている以上不可能です。お金がいくらあっても、どれほど健康的な生活を送っていても、不安を感じない人間などどこにもいません。
実は、不安という感情には「実体」がありません。形もなければ、手で取り出して捨てられるような物体でもないのです。それなのに、私たちが「不安を取り除かなければ不幸だ」と躍起になって格闘しようとすると、かえって頭の中で「不安という幽霊」を大きく捏造してしまいます。
実体のない幽霊に怯え、必死で追い払おうと振り回されるから、疲弊して夜も眠れなくなってしまうのです。
病気や健康に対する不安は、無理に消そうとする必要はありません。「人間生きているのだから、多少の不安があって当たり前だ」と、そのまま抱えておけばいいのです。

病気=100%不幸、なんて誰が決めたのか?
病気というものは、リストラや失業とまったく同じです。「不安だ、不安だ」「不幸だ、不幸だ」と思えば思うほど、その不安感や不幸感は際限なく増幅していきます。
そして「自分は大病を患ってしまった、だから不幸なのだ」と思い込むと、実際に大病を患ったときに、本当にミジメで不幸な人間になってしまいます。
ですが、ちょっと胸に手を当てて考えてみてください。
病気になった人間は、全員が全員、例外なく不幸なのでしょうか?
決してそんなことはありません。世の中には、不幸な病人もいれば、実に幸福な病人もいます。逆に、どこも悪くなくて健康そのものであっても、心がひどく不満だらけで不幸な人だって山ほどいるのです。
つまり、「病気=不幸」と決まっているわけではありません。私たちが勝手に世間の物差しを使って、「健康=幸せ」「病気=不幸」という単純なレッテルを貼っているに過ぎないのです。

ガンという「素晴らしいプレゼント」をもらった落語家の話
ここで、ある落語家さんの非常に味わい深いエピソードをご紹介しましょう。
その落語家さんは、自身がガンを患ったときの壮絶な体験を落語のネタにして、こんな風に語っていたことがあります。
「私は、ガンという素晴らしいプレゼントをもらった」と。
普通に考えれば、ガンという重い病気にかかって「プレゼントをもらった」などと思えるはずがありません。では、なぜ彼はそのように考えることができたのでしょうか?
それは、彼が手術室へとストレッチャーで運ばれていく途中で、人生における実に素晴らしい体験をしたからでした。
当時小学生だった彼の息子が、「お父ちゃん、がんばってな」と言いながら身を乗り出してきたのです。そして感極まって、父親の顔の上にポタポタと綺麗な涙をたらしました。その息子の涙と、自分自身の涙とが混ざり合ってカクテルになり、自分の耳の後ろを伝っていく
その何とも言えないあたたかい感触を味わったというのです。
この幸福な体験は、自分がガンという大病を患ったからこそできたものだ、と彼は考えました。そして、「運命(ほとけさま)が自分にこんな素晴らしい出会いと役割を与えてくれたのだ」と心から感謝する気持ちが芽生えたのです。

病気になったからこそ見えてくる景色があり、感じられる人のぬくもりがあります。病気はすべてを奪い去る悪魔ではなく、時には思いがけない「人生の宝物」を届けてくれるきっかけにもなり得るのです。

人生という回り舞台で演じる「それぞれの役割」
ガンなどの重い病にかかると、たいていの人は「最悪の不幸に見舞われた」と大騒ぎします。ですが、「幸・不幸」などというものは、世間の物差しによる勝手な判断にすぎません。
運命やほとけさまというものは、「あらゆる人に幸せになって欲しい」という大きな願いを持っています。その願いから、病気になる人とならない人、金持ちや貧乏人など、この世で一人ひとりにさまざまな「役」を与えられるのです。
よく人生は舞台にたとえられますが、私たちはこの世という大きな回り舞台の上で、与えられた役を演じている役にすぎません。その役割は無限にあり、中には一見すると損に思える役もあります。
しかし、誰もが王子様やお姫様を演じられるわけではありません。損に思える役だって、必ず誰かが引き受けなければならないのです。演ずる人がどうしても必要なのです。

病気になる人がまったくいないとどうなるか、ちょっと考えてみてください。必ず困る人が出てきます。たとえば、病気を治すお医者さんや、薬屋さんです。病人が一人もいなければ、彼らの仕事が成り立ちません。
「ならば、お医者さんたちは転職すればいい」と思うでしょうか。ですが、それでは医学や薬学が進歩せず、次の世代の人間が困ってしまいます。
だからこそ、医者や薬屋さんが職を確保できるように、そして次世代の人間を救うために、病気になる人が選ばれるわけです。そして、ある人の病気は治るけれど、ある人の病気は治らないままにしておきます。
もちろん、その人が憎らしいから、嫌いだから病気を治さないわけではありません。治らないことがその人にふさわしい役なのであり、もともと損だとか得だとかいう話ではないのです。
自分の役割を「ありがたく演じ切る」という生き方
世間の物差しに毒されている現代人は、自分に与えられた役割に対して何かと不平不満を言うことが多いようです。
「なんで自分だけがこんな病気にならなきゃいけないんだ」
「あの人はあんなに健康で楽しそうなのに、自分は損ばかりだ」
ですが、運命の教えを静かに信じる人は、今の役割を大らかに受け止め、損に思える役をもらっても不平不満をあまり言いません。
なぜなら彼らは、大きな命の巡り(輪廻転生のようなつながり)を信じているからです。つまり、今の舞台で一見損に見える役割をありがたく演じることによって、次の舞台でいい役がもらえる、未来の幸福につながると考えているのです。
他人の役割を羨むことなく、自分の与えられた役をしっかり演じようとする姿勢は、実に素晴らしいものです。

もし持病を抱えて毎日たくさんの薬を飲むことになったとしても、「みんなが幸せになるために必要なことなのだ」と思えば、薬代だって惜しくありません。
「あなたが稼いだお金を薬屋さんにまわしなさい」と頼まれているのだから、ありがたくその役をやらせていただくだけです。
もし「病気が治らない役」を与えられたとしても、病気とやらをしっかり楽しみながら生きる「幸せな病人」であれはいいのです。

まとめ:考え方を少しずつ切り替えて、心をラクにしよう
もちろん、このような逆境を楽しむような気持ちの切り替えは、一朝一夕で簡単にできるものではないでしょう。
つい「なぜ自分の体がこんなことになってしまったのか」「医療費がこんなに高くて嫌になる」と、愚痴が出てしまうのが人間の素直な姿です。
しかし、「すべての人が幸せになるため」「人生の舞台を成立させるため」という配役の仕組みを知り、考え方を少しずつ切り替えていくと、あんなに恐ろしかった病気に対する不安感も、不思議と和らいでいくでしょう。
- 不安は消そうとせず、「あって当たり前」と抱えておく。
- 「病気=不幸」は世間の勝手なレッテル。幸せな病人も存在する。
- 病気になったからこそ味わえる絆や、あたたかい出会いがある。
- 人生は配役。自分が引き受けた役を、大らかに演じ切ればいい。
今夜、また健康への不安が頭をよぎったら、どうぞ自分にこう言ってあげてください。
「大丈夫、どんな役が来ても、私は私の人生をしっかり楽しんで演じ切ればいいんだから」
世間の物差しをそっと手放して、今日一日をのびのびと生きること。それこそが、あなたの夜の不安を払いのけ、心をスッと軽くする最高の処方箋なのです。
病気や家族の健康への不安を、ひとりで抱え続けている方へ
あなたの心の不安を誰かに話してみませんか。
夜になると同じ不安が膨らみ、考えが堂々巡りになることがあります。
文章で落ち着いて伝えたい方はチャット相談
声に出しながら気持ちをほどきたい方は電話相談
自分に負担の少ない相談方法から選べます。

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